日々是好日

死ぬまでハッピー!

D-room12と未来の話

 
 佐野大樹さんのバースデーイベント、D-room12が大千秋楽を迎えた。
 12年続けてきたこのイベントは、今年で一旦お休みすると言う。
 毎年毎年、数日間にわたり、ゲストさんとトークをしたり、ショーをしたり、お芝居をしたり、ピアノを弾いたり。
 そんな風にして築いてきて、ファンに「冬の風物詩」とまで言わせていたイベントを一度畳むって、すごいな、と単純に思う。
 安寧を壊して、でもそれは嫌になったからとかじゃなくて、次に進むために必要なステップで。
 そうやって、また新しい山に登りに行く大樹っちゃんは、やっぱりとびきりかっこいいのだ。
 
 
 おととしは必死さや切実さを、去年は夢や希望を感じたD-roomだった。
 今年はなんだろう、と考える。
 挑戦。目標。大樹っちゃんが見据える未来を少し見せてくれるみたいな、手を引いてくれるみたいな、そんな5日間だったような気がする。
 応援しててね、見ててね、楽しくするよって約束してくれるような、そんな時間だった。
 今までありがとうも、これからもよろしくねも、いっぱいもらった。
 それこそ、両手で抱えきれないほどたくさん。どうやって返していけばいいのかなって困ってるくらい。

 今年も、ほんとうにたくさんの顔を、声を、気持ちをくれた。
 
 
 開けっぴろげなひとかと言われると、それも違うな、と思う。
 嘘をつくことも、隠し事も、できないわけじゃない。ただ、ここぞというとき、ファンの前で、それを選ばないひとだ。
 かっこいいところを見せてくれる、楽しい空間を作ってくれる、にこにこ笑って、本当なら見せたくないかもしれない苦手な分野への挑戦も、失敗も、ぜんぶを共有してくれる。
 大樹っちゃんはどんどん進んでいくけど、でも絶対に私たちを置いていったりしない。
 こちらを振り返って声をかけてくれるし、横に来て励ましてくれるし、いつだって、そこで待っていてくれる。おいでって手招いてくれる。
 それが、どんなに嬉しいことか。
 「俺がいるから大丈夫だよ」も、「みんながいるから立てるんだよ」も伝えてくれた。そばに居てくれるし、そばに居させてくれる。
 
 
 毎年毎年、どうか幸せでいてくださいって願ってます。
 悔しいことや悲しいことはあるかもしれない、それでも、その倍以上の嬉しいことや楽しいことに恵まれていてほしい。
 今年は「楽しかったです、嬉しかったです、幸せです」っていっぱい言ってくれてたから、私も幸せでした。
 要望も、不満も、文句も、ひとつだってありません。
 ただただ、大樹っちゃんがやりたいことをやっていてくれますように。
 叶うなら、裏方でもなんでもいいから、拍手を届けられる場所にいてくれますようにって、そんな願いみたいな祈りみたいなものがあるだけです。
 
 
 佐野大樹さん。
 40歳のお誕生日おめでとうございます。
 生まれてきてくれて、役者の道を選んでくれて、ここまで歩み続けてくれて、私をファンでいさせてくれて、本当にありがとうございます。
 大樹っちゃんのファンであることが、私の誇りで、支えで、自慢で、いちばん嬉しいことです。
 どうか、どうか、幸せでいてください。
 
 さあ、佐野大樹さんのファンとしての1年、はじめます!
 
 
 
 余談だけれど。
 ツイッターで、大樹っちゃんの好きなところを100個言った。
 1年くらいかけてじっくりやっていこうと思っていたのに、あっという間に100個言えちゃってびっくりした。今は、101個目からまた始めている。
 大樹っちゃんを好きで、こんなにもたくさんの好きの理由が私の中にあって、幸せだな。
 

 

D-room12がはじまるよ


D-room12がはじまる。

私にとってそのはじまりは、新しい年の幕開けと同義だ。
再三言っていることだけど、D-roomは大樹っちゃんのファンとしての総まとめであり、新たなスタートでもある。
特別なのだ、このバースデーイベントは。

私には、応援している俳優さんが他にもいる。
応援と言っても、出演作を1回は観に行って、たまにリプライをして、たまにお手紙を書く、それくらいのことだけど。
予定を空けて観に行く劇団も、スケジュールが合えば観たいなあと思う俳優さんも、いる。
私の世界には、大樹っちゃんだけじゃない。
それでも、こんなに切実に、必死に好きでいるのは、大樹っちゃんただひとりだ。

大樹っちゃんは今年も、夜中とか、朝方に「寝る」とかツイートしてて、寝る間も惜しんでとはこのことだなあと思ったりしている。
みんな喜ぶんじゃないかなあって、みんなに楽しんでもらうためにって言った声が、ずっと耳に残っている。
私を動かす原動力は大樹っちゃんだけど、それは逆も然りなのかもしれない。
自惚れでもなんでもなく、ファンは愛されているなあと感じる。
俺のこと好きなひとが好き!っていうよりも、愛には愛で返そうとするひとなのかなあって思う。感謝の波で溺れそうになる。いつも。

D-room12がはじまる。
はじまる、はじまる、はじまるよー!
なんでこんなにわくわくするんだろう、ドキドキするんだろう!
毎年恒例の阿佐ヶ谷のお部屋で、大樹っちゃんに会えるのがほんとうに嬉しい。
5日間ずうっと、大樹っちゃんがたくさんの愛を浴び続けてくれますように。



今日も佐野大樹さんが世界でいちばんかっこいい。
ああ、楽しみだな!



お花の話

 

 こんにちは!! 芸術の秋ですね!!

 推しが世界一かっこいい秋ですね!!!!!

 

 

 こちら、世界一美しい演出家と名高い佐野大樹さんです。

 

 久々に役者のみで携わっていた舞台「恋するアンチヒーロー」が幕を閉じ、休む暇もなく推しは次の「トラベルモード」のお稽古をしているようです。

 本当に、推しを追いかけているとノンストップで幸せが押し寄せてきます。こうやって本番を待っている間すら楽しくてたまらないもんな・・・推しのファンでよかった・・・。

 

 

 さてさて、今日はそんな推しへの感謝を具現化する方法のひとつでもある「祝い花」についての記事です。

 祝い花、私は贈るのも見るのも大好きです。デザイン考えるの楽しいし、小物とかオッケーなら独創性に富んだものを作ってもらえるし、華やかかついい匂いのロビーは居心地がいいし。

 推しの現場はお花の受付ない場合がほとんどなんですが、オッケーのときは出すようにしてます。受付ないだろうなって予想しててもデザイン考えちゃう・・・そして本番1週間前の公演のお知らせを読んでハンカチを噛む。。

 

 そんなわけで少ないですが、今まで出したお花を紹介していきます!

 

 

【ご町内デュエル】

 

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 初めてのお花。

 再演だったので、推し演じる危ないおにーさんの衣装に合わせて黒と赤を基調にオーダーしました。なぜか関西のお花屋さんを利用。友達が出してたお花がちょうかわいかったので・・・。実際、対応もよかったし満足してます。

 入れてもらった赤いガーベラの花言葉は「常に前進」「限りなき挑戦」です。推しにぴったり。

 

 

心霊探偵八雲 裁きの塔】

 

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 初スタンド花~! 受付が大阪会場のみだったので関西のお花屋さんに依頼。前回とは違うところですが。

 推し演じる石井刑事の個人的イメージが水色とか紫だったので(澄んでて理知的な感じ)基調にしてもらって、そこに白や青を混ぜてもらいました。

 「ミスター八雲」にふさわしいようにと、この作品の象徴でもある八雲の赤い右目をイメージして、右側に赤いリボンを結んでもらいました。オープニングで赤いリボンを使用していたことと、今回でこのシリーズは終わりだけれどご縁が結ばれていくように、という意味合いもこめて。

 全体的には、クランクアップのときにもらう花束の代わりになればいいなあと考えて贈りました。立札に役名も入れてもらえたので満足です。

 

 

【まわれ!無敵のマーダーケース】

 

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 鉈。

 発砲スチロールとクラフトペーパーと銀色のポスカがあれば鉈を作れます!!!推しが殺人鬼を演じることになった皆さまはぜひ!!!!

大学の食堂で工作してた段階では「これ大丈夫なのか?」と不安でしたが、スタッフさんキャストさんからも評判が良くてうれしかったです。私は血だまりの赤色が気に入っています。

 札(カード?)も手作りしたのですが、センスなさすぎて友達といっしょに考えました・・・ありがとう・・・。

 

 

【恋するアンチヒーロー

 

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 最新ですね。初めて制作サイドからお花屋さんを指定されましたが、きれいに作ってもらえて嬉しかったです。

 ラブコメだし可愛くても許されるだろう・・・と、白基調にオレンジのバラをちょこっと入れる感じにしてもらいました。幕が開いたら、推し、悪の戦闘員役だったけど。

 オレンジのバラの花言葉は「信頼」、5本で「あなたに出会えてよかった」という意味になります。バラがハートになってるんですけど、日に日に萎れていくのが切なかったです。

 真ん中のにゃんこは推しがダブルキャストのうち猫チームだったので付けてもらったんですが、悪の秘密結社の名前が「シャムニャーン」だったので好都合でした。

 そしてなんとこの公演のあと、こんなツイートが。

 

 

 お花に対してお礼を言ってくれたのははじめてで、ぼろぼろ泣きました。

 感謝されるためにやっているわけではなく、むしろ伝えたいからお花として形にしているだけなんですけど、こうやって「ありがとう」と受け止めてくれるやさしさに、改めて「好きだなあ」と感じます。うれしいなあ。

 

 

 以上、お花まとめでした。

 年内はなさそうですが、また贈れるといいなあ。

 お花にこめた、ありがとうや好きや楽しかったや嬉しかったという気持ちが、ぜんぶぜんぶ、ふんわりと届いていきますように。

 余談ですが、今後利用してみたいお花屋さんはアンドフラワーさんです!(完全に某氏の影響)

 

 

 

 そして、兎にも角にも。

 

 

年明けが近いぞ!!!!!

この冬も阿佐ヶ谷*1でぼくと握手!!!!!!!!!

 

 

*1:まだザムザ阿佐谷とは言ってない

劇場で神様に出会った話

 

 暗転する。

 す、と引くように声が消えた客席で、私は息を潜めている。

 高鳴る心臓を抑えながら、ゆっくり、目を閉じて、開いて、を繰り返す。ひとつの儀式みたいなものだ。開演前はいつもこうする。自分と空間の境目が溶けていくのを感じる。

 次に照明が差し込んできたら、物語が始まる。私は、そこで神様に会う。

 

 

 

 好きな小説の、とある台詞がある。

 

「人間には誰でも、大好きで泣かせたくない存在が必要なんだって。

 君が生きているというそれだけで、人生を投げずに、生きることに手を抜かずに済む人間が、この世の中のどこかにいるんだよ。不幸にならないで」

 

 辻村深月さんの、『子どもたちは夜と遊ぶ』下巻、エピローグでの台詞だ。

 この言葉を口にする彼は、そしてこの大好きで泣かせたくない存在の必要性を教えた彼は、ふたりとも人生に絶望ほど濃い感情すら湧かず(あるいはもう過ぎ去ってしまって)、ただゆっくりと諦め、流れるように生きていた。だけど、こういう言葉を、感情を向ける存在に出会ったのだと言う。

 この本を読んだのは、私が13歳のときだった。その頃の私は、まだ自らのアイデンティティも掴めず、なんとなく自分がいつも置かれるポジションだけ理解し始めていた。

 大好きな台詞。大好きなシーン。大好きな作品。だけど、きっと私にはこんな風に言える人間は現れないのだろうな、とぼんやり思った。私はひとりでも手を抜かずに生きていけるし、くらいの感じだった。少しばかりの切なさと、諦めと、憧れが、この台詞を読み返すたびに蘇る。

 あの頃の自分に言ってあげたい。そういう存在は本当に必要だし、あなたも出会えるよ。

 

 

 

 19歳になった。

 その頃、自分の薄情さと諦め癖にもう気づいていた。家族も友達もその他の関わるひとびとも、もちろん好きだけど、一線を引いてしまう。感情移入ができない、したくない。心を揺らされるのが嫌いだった。とことん何かをやって、裏切られるのが怖かった。薄情になりたかった、が正しいのかもしれない。そういう自分に辟易しながらも、諦め続けた。鏡を見るたびに、お前が嫌いだなあ、と思う日々だった。

 

 受験を終えた私は、一本の舞台を観に行くことを決めた。

 高校生の終わりごろに縁あってDVDを観た演劇ユニットの、その中でも「好きかも」と思った役者さんの出演舞台だ。舞台なんて、学校行事で劇団四季を観たくらいだった。

 本は好きだけど映画やドラマを観るのは苦手で、自らの集中力に些かの不安を抱きながらも、はじめて自分の意思で「劇場」に向かった。安くないチケットを握り締めて、同行してくれた友達にお目当ての役者さんの特徴を教えながら。

 先着販売のチケットを張り切って取ったらなんと最前列で、戦々恐々としつつ席に着いた。だんだんとボリュームが大きくなる音楽に反比例して、照明は落ちていく。暗闇に飲み込まれた客席で、私は目を閉じた。開いても黒、閉じても黒、だけどその色は少しだけ違う。本の表紙を開くような、物語に足を踏み入れるような感覚だった。

 

 

 暗転が明けると、彼はもうそこにいた。息を呑む。

 捲し立てるように喋って、舞台上を隅から隅まで走って、思い切り倒れて、叫んで、笑って、怒って。感情の高ぶりが激しい役を演じていたから、なのかもしれない。圧倒的な熱があった。こちらまで肌がぴりつくくらいの、膨大なエネルギーだった。

 いつの間にか固めていた膝の上の拳を、ぎゅっと握る。すごい。わけがわからなかった。舞台という、そのままの意味で「生きた」芸術にも圧倒されたが、それとは別に、彼の持つ炎に巻き込まれていた。

 このひとは、今この瞬間に、命を燃やしてるんだ、と思った。彼が演じていた役は、酔っ払って記憶を無くし、知らぬ間にいろんなトラブルに巻き込まれる、わりとその場しのぎで生きる男だった。だから、「彼の前後」は存在しないのだろう。彼には、その役には、「今」しかない。本当に、このまま舞台の上で死んじゃうんじゃないかと心配になったくらいだ。

 このひとみたいに、必死に生きてみたい。なぜだか痛烈にそう感じた。そうしたら、好きになっていた。落ちるように、貫かれるように、大げさではなく、目の前の色が変わった。

 私の世界に、神様が生まれた。

 

 

 役を脱いだ彼は、向上心が高く、チャレンジ精神にあふれ、作品のために厳しく尽力できて、他人を褒め感謝し言葉にもする、やさしくて明るいひとだった。

 彼を観たくて劇場に通い、グッズを買って、お手紙を書いて、プレゼントをして、お花を出す、そういう自分を、最近ちょっとずつ好きになってきた。その時間は、私にとっても大切で、「正しい」ことだから、鏡を見ていられる。本当に、とてもすてきなひとを応援していると心から思う。

 

 私は、あの本の彼のように壮絶な人生を歩んできたわけではないけれど、でもわかるよ、と今なら言える。

 大好きで、泣かせたくないとはちょっと違うけど大切で、ファンとして胸を張っていたくて。人生を投げず、手を抜かずに済む存在。私にとっては指針で、救いだ。心を揺らされることも、頑張ることも、執着することも、感情を寄せることも、本当は怖くない。

 神様を得て、変わってきた人生の途中、私はいま毎日が楽しい。きちんと生きている。きちんと生きていく、これからも。

 

 

 

 2014年6月18日。東京芸術劇場シアターウエストで、WBB vol.6『そして、今夜もニコラシカ!』を観て、佐野大樹さんに出会った話。

 

 

頑張る推しの話

 

 頑張る、って難しい。

 頑張らなくちゃって思っても、どうしても手を抜きたくなってしまう瞬間があるし、なんでこんなに気を張って努力しなくちゃいけないんだろうって投げ出したくなってしまう。

 それでも頑張って、頑張って、頑張って、結果が出ないこともある。他人に馬鹿にされることもある。自分から見たら頑張ってないと思えるようなひとが、ひょいっと美味しいところを持っていくことも、ある。

 頑張ることは難しいし、頑張ろうって自分を奮い立たせることもわりと大変だ。

 なんで頑張らなくちゃいけないんだろう、頑張るって意味のあることなのかな。

 

 

 推しは、「頑張る」という言葉をよくつかう。

 頑張ってるよねえ、って評されるひとだ。努力のひと、積み重ねのひと。推しを知るひとたちは、口を揃えてそう言う。それはファンだけじゃなくて、関係者の方々も。

 

 

 何かを背負うって、ものすごく重たくて、推しはその想いを軽んじるような人ではなくて。

 なんというか、責任感が強いのだろうと思う。頑張らなくちゃ、と自分に喝を入れて、その通り行動できるひと。だからきっとみんな、推しに自分の想いを託す。

 私はこの推しの「頑張る」内訳をすべて知っているわけではないけど、演出家として、プロデューサーとして、ひとりの演者として、舞台をイベントを作品を作り上げる上で、その仕事量は並々ならぬものだろう。

 放り出したくならないんだろうか。嫌になる日とか、ないんだろうか。だからと言ってはいやめますってできる世界ではないけど、推しは「頑張ります」「踏ん張ります」「一歩一歩進みます」と言って、どかんと大きな作品を作り上げ、その舞台上で「たくさんのひとに支えられました」と笑う。

 自分に厳しくて、物事が成功すればそれは他人のおかげだと言えるひとだ。

 

 

 約束するみたいに、「頑張ります」と口にする。

 しかもそれはデタラメではなくて、むしろこんな言葉じゃ追いつかないくらいの苦労や努力が伴っているのだろう。頑張る、頑張ります、頑張ろう。推しが言うたび、なんだか眩しくて、私は泣きたくなる。嬉しいとか、悔しいとか、そういうのぜんぶが混じって、どうしようもなくなる。

 推しを見ていると、「頑張る」って正しいんだ、と思う。まっすぐ走ろうとしてくれる推しが、何の衒いもなく口にする言葉。それが当たり前なんだと言うように、たったひとつの手段だというように。

 「努力した者がすべて報われるとは限らん、しかし成功した者はすべからく努力しておる」が座右の銘の推しは、その頑張りがひとつ残らず結果に繋がるとは思っていないのだろうけど。それでも、現実を受け止めながら、失敗するのも勉強になると真剣に語りながら、推しは「頑張る」と言う。

 私は、頑張って、頑張って、報われないのが怖いし、かっこ悪いこともしたくない。頑張らないとできないことなんて、手を伸ばしたくない。って思ってた、のだけど。

 自分のできないことから目を逸らさず、あの大きな瞳を爛々と燃やして努力を重ねる推しのかっこよさや、美しさや、明るさや、正しさに、救われた想いがした。頑張っても大丈夫なんだと思った。それと同時に、わたし、頑張りたかったんだなあ、と気づいた。

 勝手ではあるけれど、推しが「頑張ります」と言うたび、「頑張れ」と言われているような気持ちにもなる。それは押し付けやプレッシャーではなくて、私が足を前に出すために必要な後押しで、ふわりと心を梳く肯定だ。 

 

 

 

 

 7月にはWBB、10月にはトラベルモードが待っている。どちらも演出だ。全身全霊をかけて。真摯に全力で。推しはいつでも、頑張ることを宣言してくれる。その言葉に一点の嘘もないことを、私は、私たちは知っているし、心の底から信じている。

 推しが「頑張る」と言うたび、もう頑張っていることはわかっていても、「がんばれがんばれ」と心の中で呟いてしまう。それはもっと頑張れと負荷をかけたいわけではなくて、ただ、頑張ろうとしてくれる推しのその力が、絶えてしまいませんようにと、祈りたいのだ。

 悔しいこと、しんどいこと、苛立ちや焦燥感も、ぜんぶ、どうか推しのエネルギーに変換されますようにと願ってやまない。そして、それ以上の幸福が、頑張った先に絶対にありますように。

 

 私も推しを見習って、今日も「頑張る」と声に出す。

 手を抜きたくなっても、投げ出したくなっても、「推しも頑張ってるんだよなあ」と思えば自然と背すじが伸びる。しゃんとしなくては、と思う。それは強迫観念ではなくて、私がなりたい自分になるための魔法だ。

 よし、頑張ろう。私の人生に佐野大樹さんがいてくれてよかった。

 

 

SniTs vol.2/This is the greatest show!

SniTs vol.2

期間:4月20日~22日

劇場:ザムザ阿佐谷

 

 

 さて。

 気づけば、千秋楽からもう1週間以上経ってしまった。

 4月を迎え、社会人となった私は、日々の研修でへろへろになりながらSniTsさんと会える3日間を目指し、たくさんの力や光を浴びて、また現実と闘う毎日に戻っている。

 言葉にするのが難しいくらい、ただただそのパフォーマンスに圧倒されるショーだった。

 推しこと佐野大樹さんと、その相方・土屋佑壱さんのコンビ。期間限定ユニット、SniTs。その結成は1年前。

 1年前のSniTsのショーがすごくすごく楽しかったから、今回も相当期待して行ったのだけど、そんなハードル見えないみたいにひょいっと超えられて、びっくりしてしまった。ぽつぽつと記していこうと思う。わりとポエム。

 

 

 

 オープニングダンス、小学生コントを含む4本のコント、トーク、パントマイム、そこからのダンス、エンディングダンス。

 以上が今回の大体の構成だったわけだが、転換の最中に着替えも行ったり小学生コントは7割内容が毎回違っていたりと、ふたりの「リアルタイム」を追えるショーだったような気がする。

 

 かっこいいも可愛いも面白いも詰まったオープニング。ド頭からエンジン全開でばっきばきに踊ってくれたのも嬉しかったし、女子アイドルの曲でかわいいお顔を作る39歳男性ふたりにめろめろになった。推し、猫みたいだったな。でも途中でふざけるし、相方のぶりっこに引いた顔するし、そういう風に笑いを誘うところが好き。

 流行りの曲も含め、ジャンルばらばらにいっぱい、ぽんぽんスピーディに踊っていってくれるから、ずうっとわくわくしていた。その中でも、懲悪ダンスだけが変わらず残っていたことがまた、嬉しくて。あのステージに立つふたりは「恋塚さんとオーメン」ではないはずなのに、紫のジャケットやきんきらの靴や眼鏡、黒い衣装にサングラス、白塗りのお顔が見える気がして、なんだか泣きそうになった。私が推しと土屋さんを意識しだしたのはやっぱりあの作品だし、何があっても特別で、曲がかかればあのプレイハウスの空気を思い出す。オリエンタル劇場で聴いた最後の鐘の音を思い出す。その曲を、ダンスを、ふたりも大切にしてくれてるんだろうか。

 初日、推しを観るのがほんとうに久々で、少し緊張していた。いつもドキドキはしてるのだけど。ギャングアワー千秋楽でゲスト出演していたとはいえ、がっつり1時間も推しのパフォーマンスを観るのはD-room以来で。幕が上がって、推しがそこに現れて、ライトを浴びる横顔を見て、全体的にびしびしと直線で動くダンスに首と腰の曲線的なアクセントを見つけて、ゆびさきまで行き届いた熱を感じたら、ほろっと涙が出た。嬉しいとか、幸せとか、楽しいとか、そういうのぜんぶ引っ括めて、「私はこの人が好きなんだなあ」と気づいて泣いていた。

 こうやって、はっとする瞬間がある。好きなことが当たり前になってるわけじゃないけど、呼吸をするように「好きだ」と思ってしまうし、自分の構成要素の一部みたいになってるのは事実なんだろう。その中で、唐突に、自分のいちばんはこの人なのだと痛感するときがやってくる。誰かと比べて、とかそういうことじゃなくて、いちばんだし、唯一なんだと思う。こんな風に、落ちるみたいに好きという感情を突きつけられるひと、推し以外にいない。

 土屋さんがぱあっと笑顔を浮かべて踊ってる横できゅっと唇引き結んで真剣な表情してるのも、激しい振りをしながら目を思いっきり瞑って「頑張ってるよ」って顔するのも、可愛いお顔とバチバチに冷めたお顔を1曲の中で使い分けるのも、口角上げてえくぼ作って目を爛々と輝かせるのも、ぜんぶぜんぶ、踊りの型や身体表現だけじゃない推しのダンスの要素で、それを観るのが好きでたまらない。星屑を散らすみたいに踊るひとだなあ。

 きらきらの紙吹雪に降られながらとびっきりの笑顔を浮かべる推しを観て、このために生きてるなあ、と思ったりした。光なんだよなあ。きれいなもの、明るいものが似合うひとだし、私にとっては常に推しが主役だ。

 オープニングの時点でチケット倍額出したいのにまだまだまだまだ楽しい時間は続くから、SniTsさんはすごいんだよなあ!!!

 

 コントは4本。

 小学生コントの暴走っぷりが凄まじかった。あの距離で観るだいきくん、恐怖でしかない。お客さんみんな推しのこと好きなはずなのに、だいきくんが客席を見渡すとスッと視線を落としていくの意味わかんなくてめちゃめちゃ面白かった。目いってたもんね。でも、だいきくんのときの推しはすごく楽しそうではじけてるので、私はとても好きです。今回も無茶ぶりキングで最高でしたね。相手が土屋さん、ゆういちくんでよかった。だいきくんのこと本当に小学生だと認識してるし130センチくらいだと思ってるから(?)、近くまで来たときに肩幅が広かったり右耳にピアスホールがあったり喉仏が出ているのを見つけると、ドキッとしますね(???)

 あと、特筆したいのは最後の『騒』。コントなんだけどちょっと怖くて、でもやっぱりバリバリに笑えて。みんな、自分の推しが足首を鎖で繋がれてるところ見たこと、ある???? 私は初めて見たけど、最高すぎて震えました。土屋さんが黒幕かもって疑惑が出てきたときの「嘘だろ・・・」大好きだったなあ。高く上擦ったり、かすれたり、震えたり。明るくて光の似合う推しだけど、怒りや絶望といった負の感情を滲ませるのも天才的なんですよね~~!!! がちがちに役を固めているわけではないけど、その場の心の動きが見えてぞくっとした。一瞬で空気を掴んだり変えたりする推しのお芝居が好きです。最後ずっと「なんでやね~ん」「もうだめだあ~」って繰り返し言ってるの雑すぎてめちゃめちゃ笑いました!!

 

 今回いちばん印象強かったのが、パントマイム!

 鞄を重たそうに持ち上げたり、ホームラン打ったりボウリングしたり、海に行って水かけ合ったり、かと思えばビームや銃弾が飛び出したり死んじゃったり生き返ったり。確かな技術の高さが必要になると思うんだけど、そこにコメディ要素をふんだんに盛り込んでくるからあっさり笑いながら観られるのが気持ちよくて好き。推しも土屋さんも動きが大きくて表情もコミカルにわかりやすく作ってくれるから、無声でも伝わってくる情報が多くて面白かったなあ。推し、銃を構えるとき土屋さんに比べてにこにこしてるの可愛かった~。

 そしてひょんなことから手がくっついて離れなくなっちゃうふたり、に繋がっていって。ふたりが手を剥がそうと奮闘したり、それでも仕方なく過ごしていく中で絆を深めていく様子が愛おしかった。関係ないけど、割り箸を噛んで片手で引っ張ってぱきっと割る推しハチャメチャかっこよくて頭抱えそうになったな。

 そこから『This Is Me』に合わせて踊るふたりがきれいで、あまりにもまっすぐで、圧倒されるってこういうことなんだなあと思った。すごかった。オープニングのダンスとはまた違って、苦悩や葛藤や解放をテーマにしているのかなと感じる表情やゆびさきでの表現に息を呑んだ。声なんて聞こえないし言葉もないのに、ふたりの感情がエネルギーになって伝わってきて、肌を叩いて、心臓を直接掴まれたみたいな気持ちになった。

 曲の途中、手が離れて、白い光のなかで踊る推しが笑顔を浮かべていることに気づいた瞬間、鳥肌が立った。いつもの人懐っこい笑顔とは違う、開放感から思わず滲んでしまったみたいな、晴れやかな笑みで。抑圧していたものが解き放たれた瞬間を、こんな顔で踊るんだと思ったら、もうたまらなかった。何も考えられなくて、ただ目の前の熱を受け止めて抱きしめるだけで、その切迫した感じが心地よかった。感動ってこういうことなんだろうなと思う。心が動くって、理屈を挟めないってことなんだろう。

 

 エンディングまで、楽しくて楽しくて。にこにこ手拍子をしながら、推しの楽しそうな笑顔を見ながら、ステップのひとつひとつに焦がれながら、なんだか幸せだなあって思った。何回も、何回も思った。終わってほしくないから寂しいのに、とことん楽しく最後まで彩ってくれるから、いつもぜんぶの音楽が終了してふたりが袖に消えてからはっとしたものだ。本日は誠にありがとうございました、と声を張り上げて頭を下げる、推しの美しさや正しさに貫かれるエンディングだった。最初から最後までダンスで始まりダンスで締める、そのエンタメでパッケージングするところが本当に好き。1秒も余すことなく、あの時間は「ショー」だったんだよなあ。

 

 

 ふわふわと振り返ってしまったけれど。こうして書いてると、終わったんだなあ、なんて他人事みたいに思う。もう推しは次だったりもっと先に向けて、走り出しているのに。私も自分の生活を生きているのに。

 夢みたいなショーだった。私が推しを好きな事実とか、理由とか、意味とか、いろんなものを教えてもらえるような、思い出させてもらえるような。もう私の記憶の中にしかないはずのあの3日間は、それでも、宝物みたいに消えなくて、ずうっと支えになっていくのだろうと思う。

 本当に、本当に、楽しかった。そればっかりだった。どんなことをしたらみんな喜ぶんだろうって、シンプルにそれを考えてくれてることが伝わる、SniTsさんが好きだ。いつか3回目があるといいなあ。

 

 

 「SniTs vol.3初日、おめでとうございます!」と言える日が待ち遠しいです。

 どうか、実現しますように!

 

 

卒業した話

 

 日記のような。

 

 

 推しを、じゃないです。そりゃそう。

 大学を、バイト先を、サークルを、先日卒業してきました。ぜんぶ。

 大学生は4年間で終えること。そんなの入学したときから、もっと言えばその前の高校中学小学校のときから決めていたはずで、22歳のこのタイミングで社会人になるためにいろいろと事を運んできたはずで。それなのになぜか、不思議な気分だ。

 今年は1日が日曜日だから、4月2日を境目に、私はがらりと変わる。カテゴリが変わる。見られ方が変わる。私はなんにも変わらないのに。それを気持ち悪いとも悲しいとも思わないし、むしろわくわくしている部分もあるのだけど。

 だけどやっぱり、不安なんだろうな、と思う。変われるのかな、変えられるのかな、変わるってなんだろう。

 

 

 大学4年生の3月から6月末まで、就活生だったときも、私は推しのファンだった。

 1年生の初夏にはじめて推しを観て、2年の春から気が狂ったように通いだして、なんだかんだ、私はずうっとこうしている。毎回毎回これが最後かもしれないって思いながら千秋楽を観て、ああまたここに来れてよかったと安堵しながら、初日、客席に座る。

 持てる力の限りで推しを観てきて、もうすぐ3年。まだ3年。ほんのわずかな時間だな、と思う。だけど、大学生活の大半を捧げたんだなあと思うと、なんだか長い道のりだったような気もする。あの春、私はきっと今も推しの未来を見ていることなんて想像していなかった。

 就活のピークは6月前半だった。推しの出演舞台『心霊探偵八雲 裁きの塔』の公演期間とがっつり被っていた。とは言っても、面接は基本的に平日の日中だったから特に支障もなく私は品川に通った。さすがに平日は東京にいようと大阪公演は土日のみに絞っていたのに、木曜にファン感謝イベントが決まって、もーいいや!推しの現場と重要な面接が被る企業とはご縁なんてあるわけない!って3泊4日決めたけど。大阪で御社と電話した。楽しかった。

 ひとつも諦めなかった、と思う。推しのことで自分の何かを疎かにすることも、その逆も嫌だった。背伸びして届くものならぜんぶ掴みたかった。推しと同じように。推しのこういうところに憧れてるんだな、と、就活中に何度も思い知った。

 今どき、絶対終身雇用ではないのかもしれない。就活はただの通過点で、それはわかってる。だけど、人生の節目だった、私にとっては。その岐路に立ったとき、推しのファンでいられてよかったなあと心から思う。推しは指針で、灯火で、道しるべで、とにかく、ずっと前を走ってくれる人がいるということは支えだった。

 

 

 ぜんぶ終わって、これからまたぜんぶが始まる。

 いやでも何かが変わる、変わってしまう、変えなくちゃいけない、変われるのかな。だけどきっと私は明後日からも推しのファンなのだろうと思うと、少しだけ救われる。

 推しのファンであることは、社会から与えられた身分でも、振り分けられたカテゴリの属性でも、勝手に貼られたラベルでもなく、私が私で選んだものだ。推しのお芝居が好きで演出が好きで、ダンスがピアノが歌がパフォーマンスが好きで、お顔や身体やその表現の仕方を美しいと思い、お人柄や考え方やお仕事への姿勢に憧れる、私が。

 いつか好きじゃなくなるかも、なんてどうでもいい。今の私が望まないそんな未来の話をしてもしょうがない。

 ただ、ほんの2日後、明後日も推しを好きなのだろうという予感があれば私はそれだけでほっとする。嬉しいと思う。変わらない、どころか、どんどん好きになっていく事実に、心の底から感謝している。

 推しの背中にわずかでも追いつけるように、頑張りたい。

 

 

 

 

 次に推しを観るときは、社会人だ。ついでにもうひとつ年も重ねている。初日、4月20日。どんな気持ちでどんな状態でどんな状況で推しを観るんだろう。でもきっと、好きなんだろうな。それだけでいいです。

 

 この春も、推しのファンとして迎えられることを幸せに思います。

 どうか、推しにとっても30代最後の春が、とびっきり幸せな季節となりますように!