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サムライモード 感想

 

*pnish* vol.15 『サムライモード』

期間:9月24日~27日(東京)、10月1・2日(神戸)

劇場:サンシャイン劇場新神戸オリエンタル劇場

あらすじ(公式サイトより):

いつかの戦国の世。
「伊那家」が「羽生家」によって滅ぼされ、
伊那家を支える二将、シスイとサイガが野に散って行くところから、全ては始まった。

この二人を捕らえるよう命を受けたのが、
羽生家の次男、謀反の気があると噂されている凌明。

任務を遂行し、当主である兄からの疑いを晴らそうと意気込む凌明は、
先の戦いで捕らわれていたシスイの従者、ガラクシャに近付くが…。

 

 

さて感想です。

サムライモードと言えば、*pnish*の代表作といっても過言ではないのではないだろうか。14作品ある本公演の中でもサムライモードがいちばん好きという声はよく聞くし、私もストーリーの完成度で言うと一、二を争う作品だと思う。

*pnish*の持ち味であるわかりやすいギャグやどたばた活劇を上手く男っぽい熱で包みこみ、ドラマ性を高くしたサムライモードは、2008年の初演から絶大な人気を誇る。この作品を15周年という節目に再演するという選択をした*pnish*と、そんな彼らのこの15年の演劇界での歩みをサムライたちの生き様と重ね合わせたという今回演出を手がけた鈴木勝秀さん。そして個性豊かな客演陣を迎え、新しく生まれ変わったサムライモードがそこにはあった。

遠い未来。過去のどこかに似た、遠い未来。私たちは、突如としてそんなふわふわと曖昧な世界に放り込まれる。え?サムライモードって時代劇でしょう?ゲネプロの写真を見たときから飛んでいたハテナマークが、佐藤永典くん演じる凌明の叫びによって回収されていく。

がんがん容赦なく鳴り響く爆音、刀を振り回す侍たちにはそぐわない、けれどこのパラレルワールドに生きる『サムライ』たちには不思議なほどぴったりと嵌る洋楽と、恐ろしく美しい照明。あやふやな情報しか与えられていないフィールドなのに確かにびしっと芯が通っているのは、登場人物たちの持つ信念が揺らがないから。

この世界に、余計なものなんてひとつもない。ぜんぶ削ぎ落として、苦しくなるくらいの取捨選択をして、それで初めて、みんながそこに立っている。

シンプルで、まっすぐ。私はこの作品を、美しい、と思いました。

 

 

■サイガ様に見る愛と希望

サイガ様に愛とか希望とかそんなチープな言葉を遣うのは憚られるのだけど、このぺらっぺらに使い古されて軽そうに見えるくせにしっかり光を届けちゃう感じがちょっと私の思うサイガ様のイメージと被る、ような気もする。

まず、サイガ様を語る上で欠かせないツイートがある。

 

演出のスズカツさんによる、初日前日のツイート。

この引用されている2枚の絵は、イギリスの覆面芸術家・Banksyによって描かれた壁画だ。反戦の意味が込められたイラスト。「愛こそ答えだ」という文言と、火薬瓶の代わりに花束を投げようとするギャング。

サイガ様は、銃に花を仕込む。それを発砲し、花が出てきたことに理解が追いついていない相手に「笑えるだろ?」と問いかける。常に飄々としていて余裕を崩さないサイガ様の揺るがない信念がそこにはあるのだろう。

初日、いちばん印象に残った台詞は、ガラクシャがサイガ様に向けた「あなたは人を撃たない!」だった。トラジを人質にとったサイガ様がシスイ様の解放を迫るシーン、初演では「あなたはそういう人だ」と言われていた。無益な殺しを避ける、というサイガ様のアイデンティティは変わらないが、それが今回は強調されていたように感じる。稽古の最初の段階では「あなたは人を撃てない」だったこの台詞が、ガラクシャを演じる土屋さんの判断で「撃たない」に変わったそうで、この一文字の改変がサイガ様の根幹を作ったのではないか、と私は勝手に思っている。

サイガ様は、撃てないんじゃない、撃たないのだ。できないから選ばないんじゃなくて、絶やさない笑顔の裏側にひとつ貫いているサイガ様なりの武士道が、人を殺さないという選択を常にしている。

タンバの台詞で「シスイサイガのふたりといいお前といい、もっと楽に生きられんのか」っていうのがあったんだけど、私はここでサイガ様が並んだのがちょっと驚きで。単純に羽生家に歯向かうなんていうバカみたいな真似をしてるのがタンバには「難儀な生き方だなあ」と思わせてるんだろうけど、なんていうか、シスイ様を不器用な男だって思ってるサイガ様も、器用なひとではないんじゃないかなぁなんて思ったりした。人生を常に楽しく捉えようとするサイガ様だから生きづらさは感じてないだろうけど。

「人を殺すことはしない、だけど戦場に身を置く」ってはたから見るとものすごくつらそうだし、やめちゃいなよって言いたくなるんだけど、たぶんそうじゃないんだよね。サイガ様は「人を殺したくない」じゃなくて「人を殺さない」だし、ここにネガティブな要素はきっとひとつもない。人を殺すのは「面白くない」からっていう、シンプルな考えなのかなって思う。

ただ、どうしても戦場って人を傷つけて傷つけられる場所だからそういう暗さが付きまといがちで、そんな場で手品みたいに花束を次々と出して「どうだ~!」なんて両手広げて笑うサイガ様は、希望のひとなんじゃないかなぁと思う。本当にチープなんだけど、この作品に関しては、こういう良い意味で軽くて明るい単語を遣ってみたい気がする。綺麗事だ、くだらないって切り捨てそうになるものを掬いあげてくれるのが、*pnish*だったりWBBのお芝居だなあ、と私は常々思っています。

実は、初演の映像を観たとき、サイガ様って冷たいひとなんじゃないかと思った。自分にとっての利益で動くひとというか。なんでそう感じたのかは覚えてないんだけど、フラットに見えて付け入る隙を与えないひとだ、と思っていた。

それが、今回のサイガ様を観たらがらっとイメージが変わってしまった。サイガ様は頭がいいひとだから伊那家の上様の心が弱すぎて戦国の世を渡っていけないこともきっと早くから悟っていたし、賢明の策略によって遠ざけられていくシスイ様をすぐ近くで見ていて。口ぶりからして上様ひいては伊那家への情や忠誠心ってあまり高くないような気がするし争いの無益さだって知ってるはずのサイガ様がどうして一揆を起こすんだろうって不思議だったんだけど、自分にはない忠義心と圧倒的な強さを持つシスイ様のそばがいちばん「面白い」って判断したからなのかなぁ。たぶん、シスイ様の強さを誰よりも信じてるのってサイガ様なんだよなぁ。「こいつは強いよ、たぶんこの世でいちばん強いと思うけど大丈夫?」っていう台詞、いろんなものを疑ったり小さな引っかかりさえも逃さないサイガ様が、いちばんだって断言してるのが好き。

このふたりの関係性を表すシーンといえば、「どう思う? 我らがやっていることだ」ってシスイ様が尋ねるところだと思う。どんなに兵力を膨らませたって一揆軍で羽生を打ち滅ぼすなんて到底無理で、それでも何回も何回も繰り返し戦を起こす、その無益さなんて百も承知のシスイ様が、サイガ様にだけ答えを求める。サムライとしての揺るぎなき信念を持って多くの人々に憧れの対象として崇拝されて、実際剣の腕だけじゃなく精神的にもおそろしく強いひとなんだろうけど、強いからって傷つかないわけじゃないんだよね。心の弱かった上様を「だが、お優しい方であった」って謀反を疑われて遠ざけられてもなおそう言えるシスイ様は、きちんと傷つくことのできる、悲しむことのできる、心のやわらかいひとだったのかなぁって思う。そんなシスイ様の矛盾だったり葛藤をきっと知っていて、サイガ様はそこに面白さを見出して受け入れて後押ししてるっていうのが、このふたりの確かな信頼だったり、甘ったるさのない情なのかなぁ。

で、サイガ様を取り巻くひとといえば忘れちゃいけないのがナミキヨ。客席降りでの日替わりシーンが毎回毎回過激すぎて、尊敬の念をこめてナミキヨ先輩って呼んでました。公演期間中、ずっとツイッターのプロフィール欄を「♡三度の飯よりサイガ様♡」にしていたんですが、これもナミキヨを演じていた崎山つばささんがDeviewのインタビューで答えていたコメントから引用させていただいたものです。このフレーズ性の高さ、声に出して読みたい日本語すぎる。

「我が主サイガ様も、シスイ様に負けず劣らずのお方・・・!」と宙に手を伸ばしてみたり、サイガ様の銃から飛び出した花に嬉しそうな顔をしたり、覆面剣士とシスイ様が戦っているときも刀を抜いてサイガ様を守っていたり、頭をなでられてへにゃっと笑ったり、サイガ様へのあふれんばかりの愛と忠義心を持っていたナミキヨ。でも自分の慕うサイガ様に恥ずかしくないよう体力づくりしたり鍛錬を積んでる様子が見てとれて好感が持てました・・・ゴールデンレトリーバーみたいでとっても可愛いのに、ガラクシャと戦ってるときは手のひらに唾吐いて「死ね!!」って叫んだり、ワイルドな面も見せてくれるギャップにときめいたなぁ。そんなナミキヨが自分の指示を受けて走っていく後ろ姿にふっと笑みをこぼすサイガ様も、あー大切だし信頼してるんだなぁって感じられてよかった。とても明るくて、わかりやすくて、でも強い敬愛で繋がってる主従コンビだなぁと思いました。日替わりの客席降り、私は肘としりとりが好きでした!レポはこちら!

 ナミキヨ先輩と居酒屋オールナイトで語りたいし「サイガ様のすてきなところ」っていうお題で古今東西山手線ゲームしたいです!!!!!

長々と語ってしまったけれど、サイガ様の存在は希望ってことです。私はやっぱりサイガ様がいちばん、めちゃめちゃに好きなので、これから羽生家に仕えるっていう選択をしたその先の未来が明るいものであればいいなぁとおもう。おどけて笑ったり、部下にやさしい表情を向けたり、ぎらぎら目を輝かせて駆け出したり、戦友の生きていく道を何も言わず受け止めたり。そんなサイガ様のこれからが、ずうっとずうっと面白いものであればいいなーなんて思ってるし、きっとこの人なら自分の手で日常を彩っていくんだろうと信じてもいる。

思いがけず、本当に入れ込んでしまった。サイガ様に出会えてよかったです。

 

 

 ■凌明とガラクシャが持つ天秤

シスイ様とサイガ様を捕らえるため行動を共にすることになったこのふたりは、どちらも天秤を持っていたように思える。しかも、最初からどちらを切り捨てるか決まっている天秤だ。それぞれの守らなくてはならないものと、お互いの存在。

ガラクシャにとっては主であるシスイ様が何より大切にすべき存在、というか自分の根幹にあるひとで、そのひとの復讐を終わらせるために凌明を裏切る覚悟をする。でもやっぱり心のどこかで凌明を大切に思ってしまって、一度は「お前とは戦いたくねえ」ってぶつかることを放棄しようとする。このときの「ガラクシャ!」って呼ぶ凌明の声が切なかったなあ。この時点でまだガラクシャは凌明を下に見てるっていうか、ただの人のいい甘ったれ、腑抜けだっていう意識が少なからずあると思ってて、でもそれが「戦いてえ」って思うまでに変化するって革命的だったんじゃないかなあ。ずっとシスイ様につき従ってきたガラクシャが、頂点に立つサムライと同等の立場で戦う未来を選ぶってよっぽどだし、この選択を掴ませたのは凌明なわけで。無理やり自分のいるフィールドまでガラクシャを引き上げたみたいな感じすらある。

凌明は強かで、狡猾で、でもすごくまっすぐ前を見る、潔いサムライだったなあと思います。前半はワインを両手で抱えながら走ってきたり「あれほどの武人が自ら名前を汚してるっていうのに平気なんだ・・・?」って悲しそうな声を出したりハイパー可愛くてキーホルダーにして持ち歩きたいくらいだったのに、後半では凌明が吼えるたび空気がびりびり震えてびっくりした。これはもうさとちゃん凄いとしか言えない。個人的には、プライベートで仲の良い大樹っちゃんとさとちゃんがサイガ様と凌明として腹の探り合いをしてる場面を観られたことに胸が熱くなりました。

最初からぜんぶ凌明が仕組んでいたことで、それはそうなんだけど、「お前らと一緒にいると蕎麦食うのも一苦労だな」って呆れ顔のガラクシャに「でも楽しいでしょ?」って笑ったのは嘘じゃないって思いたいし、この会話してるふたりはただの友達みたいですごく好きだったんだよなあ。これはただの妄想というか願望なんだけど、タンバの寺から捜索に出て夜更けにトラジに農民たちの話を聞かされるまで、凌明も心のどこかでちょっとだけ、このままサイガ様とシスイ様が見つからなくてもいいかもって思ってたんじゃないかなあ・・・。そうしたら凌明はガラクシャと友達のまま、日常は変わらないまま。いつか兄上もわかってくれるかも、なんて。でものっぴきならない現状を聞いて、それじゃだめだって覚悟を決めたのかなーと思う。この話の直後に意を決したみたいな顔でガラクシャに「隠してることを教えてくれよ」って迫るのが印象的でした。大切なものをどちらも手放さずにいることなんてできない、どうしても叶えたい夢があるなら何かを切り捨てなきゃいけない。「言っただろう!国を治めるためには、ときには非情さも必要だって」 っていうガラクシャに向けた叫びは、自分自身にも言い聞かせてたのかなあ。

ずっと討つ機会を狙っていた兄が目の前で自害の道を選んだとき、凌明はどんな気持ちだったんだろう。「兄上!!」って叫んだあの声からは喜びなんか一切感じられなくて、兄弟間で玉座を争うご時世ではあってもきちんと情が流れていたんじゃないかなって信じたくなる。賢明は凌明について「まるっきりの馬鹿であればよかったものを!」って言ってたけど、私は賢明こそ馬鹿だったらよかったのにって思った。ただ威張り散らすだけの、自分と弟の力の差すらわからないようなだめな殿様。そしたら、こんな風に怯えて虚勢を張ることも、自分のいちばんの部下すら疑うこともなかったんじゃないかなあ。周りの評価も、父上からの目も、ほしくてたまらない功績も、ぜんぶ軽々と持っていく弟に、賢明はどれほど苦しめられていたんだろう。最期「地獄で見ておるぞ」って笑ったのを見て、ああこのひとはやっと解放されたんだって思った。あんな顔で笑えるし、部下のために戦えるし、根っこはやさしいひとなんじゃないかな。ただ劣等感で目隠しされていて、遠回りが多かったけど。もうそれは取り返しのつかないことだったけど。賢明さまが幸せになれる世界線に行きたいです。

演説の熱っぽさと、そのあとのガラクシャに向ける声の底冷えするような平淡さのギャップが凌明の貫録を引き立てていたように思う。「やるじゃねえか、りょうのすけ!」って言うガラクシャに「私の名は凌明だ」 って訂正するシーン、サムライモードの劇中で一、二を争うくらい好きだったかも。こうやって言うことで、凌明はもう二度と団子屋の三男坊には戻れなくなったんだよね。自分でその道を完全に断った瞬間というか。でも、ガラクシャはそのあとも「俺は、りょうのすけと戦いてえ」って言う。凌明が切り捨てたものを、拾ってしまう。こうやって呼ぶことで、ガラクシャと凌明・・・りょうのすけが一緒にいた時間は嘘じゃなくなったというか。このふたりは同じように天秤を持って出会って、凌明が片方を掴むために片方を捨てたのに対して、ガラクシャは一度捨てかけたものを凌明の分まで掬い上げて、再会のときまで抱え続ける選択をしたんだなあって思う。あのあと橘からガラクシャのことを聞いた凌明は、「ガラクシャらしい」って笑うんだろうか。

 

 

■4人でのラストシーン

初演と大きく変わった点といえば、あのラストシーンだろう。

トラジとナミキヨの後処理はされず、橘がガラクシャについていくという設定も消えていた。桜の花びらが落ちる舞台上には、ガラクシャ、橘、シスイ様、サイガ様という、*pnish*の4人のみ。*pnish*が思いっきり目立つ!という作品ではない今作だが、それでもはっきりと、この舞台は*pnish*という演劇ユニットの、15周年の本公演なのだと思い知らされる。私はそれがなんだか嬉しかった。ゲストの俳優さんたちのファンの方々がどう思ったかはわからないけれど、そういう選択をしてくれたこと、4人だけの終わり方をスズカツさんが示してくれたことを、彼らのファンとしてとても嬉しく思った。私はこの劇場に、*pnish*を観に来た。彼らが責任を背負う舞台を観に来たんだって実感できて、意味がわからないくらい感動した。

春は雪溶けの季節だけれど、あの桜が降り注ぐなかで、彼らの凝り固まった心がほぐれていたらいいなぁと思った。死を覚悟していたのに響いたのは間抜けな音で、ぽかんと驚いていたサイガ様やガラクシャが愛おしかったし、無表情を少し崩して「なぜ助けた・・・!」って悔しそうにするシスイ様は誇り高くて、涼しげな顔をする橘は最高にかっこよかった。薄紅色の花びらが舞い降りる様子を見つめるサイガ様がめちゃめちゃに美しくてこの瞬間を今すぐ切り取りたいって毎回願っていたんだけど、その悲願が10月31日までアニメイトAKIBAガールズステーションさんで叶っているので皆さん行ったほうがいいです!!!!宣伝です!!!!!!あのパネル売ってほしい!!!!!!!!!!!!

ラストシーンといえば、シスイ様とガラクシャだなぁ。「長い間放っておいてすまなかった、辛かっただろう」って語りかけたあの言葉は、謀反を疑われて上様に遠ざけられてしまった自分とガラクシャを重ね合わせたのかなあと少し思った。それまでの切羽詰まったみたいな厳しさがすっかり溶けてやわらかくなった表情と声が本当にきれいで、がくんと膝を折るガラクシャの姿に涙が出た。シスイ様を信じて、救いたくてここまで戦ってきて、最後の最後にあんなふうに声をかけてもらって、この数秒でガラクシャのこれまでは報われたし、この一言がこれからのガラクシャを生かすんだ、と思った。シスイ様とガラクシャは言葉こそあまり交わさないし同じ空間にいる時間もほかの主従に比べて少ないんだけど、それでもどこにも負けないくらいの繋がりの深さを見せつけられた気がする。相手の存在を常に感じているというか。もしサムライモードの続編があるなら、シスイ様の愛刀・童子切安綱がガラクシャの手に渡ってほしいな。鬼みたいに強い男が鬼斬りの刀を振るうところが見たい。

サイガ様と橘が下手、シスイ様が上手、ガラクシャが中央にばらばらに散っていくのがいいなぁと思う。羽生家に仕えてまた戦や政治と隣り合わせの道を選んだサイガ様と、これまで通り凌明に従う橘、タンバとともに仏門に入ってもう戦とは関わらないことを決めたシスイ様、そして、誰かのそばを選ばずにひとりっきりで駆けていったガラクシャ。サイガ様がシスイ様の仏門に入る旨を聞いてるときにそっと背中を向けるのが印象的だったな、そのあと橘についていくときもシスイ様はサイガ様を目で追うのに一瞥もくれなかったり。でもそれはシスイ様への興味を失ったわけじゃなくて、サイガ様なりの別離の仕方なんだなって思えた。サイガ様はシスイ様に「やっと憑き物が落ちたか」って言うけど、おだやかな表情で戦友の選択を受け入れるサイガ様も、何か楽になったのかもしれない。そうだといいな。

オープニングとエンディング、同じ曲の同じ盛り上がりで同じようにガラクシャが一歩踏み出すんだけど、敵に捕まることを受け入れて座り込むオープニングに対して、エンディングではそのままなにかを決意したように観客に背を向けて走り出すのが最高だったなあ。不自由と自由、その対比。もうひとつ、「命尽きるまで戦い抜きます!」っていう台詞、冒頭では討ち死にすることを目的に戦うんだけど、最後は生きるために戦うんだよね。同じ言葉なのに響き方がぜんぜん違う。隣にいるシスイ様とサイガ様の死への意識もまるっと違うから余計にガラクシャの台詞が胸を打つ。私はサイガ様が死ぬほど好きなんだけど、それでも、この話はガラクシャの物語だ、と思う。みんなみんな、ガラクシャによって救われてる。ガラクシャを演じたのが土屋さんでよかったなぁ。

 

 

 

最後に。

サムライモードは、この15年間、演劇界を生きてきた*pnish*の面々の生き様と被るところがあると、神戸1日目ソワレ公演のアフタートークでスズカツさんがおっしゃっていた。自分なりの正義を持って、それを貫き通すためにひたすら走って、その道を信じて、突き進んで、誰かを笑顔にするためだったりなにかを守るためだったり。男らしさと笑いとかっこよさと、一本芯のとおった骨太なこの作品は、確かに、私が*pnish*の魅力として数え上げたいものがぜんぶ詰まっているような気がする。

私は、この先もずっとずっと、全力で舞台上を生きていくであろう*pnish*をこの目で観ていきたい。森山栄治さんと、鷲尾昇さんと、土屋佑壱さんと、佐野大樹さんが大好きだ。そう改めて思わせてくれた今回の本公演が、とても大切です。

改めまして、*pnish*15周年おめでとうございます。これからもたくさんのひとに愛されて、たくさんのひとを楽しませて、4人で顔を見合わせて笑ってくれますように。

*pnish*の未来が明るいものであることを、信じて、祈っています。