日々是好日

死ぬまでハッピー!

劇場で神様に出会った話

 

 暗転する。

 す、と引くように声が消えた客席で、私は息を潜めている。

 高鳴る心臓を抑えながら、ゆっくり、目を閉じて、開いて、を繰り返す。ひとつの儀式みたいなものだ。開演前はいつもこうする。自分と空間の境目が溶けていくのを感じる。

 次に照明が差し込んできたら、物語が始まる。私は、そこで神様に会う。

 

 

 

 好きな小説の、とある台詞がある。

 

「人間には誰でも、大好きで泣かせたくない存在が必要なんだって。

 君が生きているというそれだけで、人生を投げずに、生きることに手を抜かずに済む人間が、この世の中のどこかにいるんだよ。不幸にならないで」

 

 辻村深月さんの、『子どもたちは夜と遊ぶ』下巻、エピローグでの台詞だ。

 この言葉を口にする彼は、そしてこの大好きで泣かせたくない存在の必要性を教えた彼は、ふたりとも人生に絶望ほど濃い感情すら湧かず(あるいはもう過ぎ去ってしまって)、ただゆっくりと諦め、流れるように生きていた。だけど、こういう言葉を、感情を向ける存在に出会ったのだと言う。

 この本を読んだのは、私が13歳のときだった。その頃の私は、まだ自らのアイデンティティも掴めず、なんとなく自分がいつも置かれるポジションだけ理解し始めていた。

 大好きな台詞。大好きなシーン。大好きな作品。だけど、きっと私にはこんな風に言える人間は現れないのだろうな、とぼんやり思った。私はひとりでも手を抜かずに生きていけるし、くらいの感じだった。少しばかりの切なさと、諦めと、憧れが、この台詞を読み返すたびに蘇る。

 あの頃の自分に言ってあげたい。そういう存在は本当に必要だし、あなたも出会えるよ。

 

 

 

 19歳になった。

 その頃、自分の薄情さと諦め癖にもう気づいていた。家族も友達もその他の関わるひとびとも、もちろん好きだけど、一線を引いてしまう。感情移入ができない、したくない。心を揺らされるのが嫌いだった。とことん何かをやって、裏切られるのが怖かった。薄情になりたかった、が正しいのかもしれない。そういう自分に辟易しながらも、諦め続けた。鏡を見るたびに、お前が嫌いだなあ、と思う日々だった。

 

 受験を終えた私は、一本の舞台を観に行くことを決めた。

 高校生の終わりごろに縁あってDVDを観た演劇ユニットの、その中でも「好きかも」と思った役者さんの出演舞台だ。舞台なんて、学校行事で劇団四季を観たくらいだった。

 本は好きだけど映画やドラマを観るのは苦手で、自らの集中力に些かの不安を抱きながらも、はじめて自分の意思で「劇場」に向かった。安くないチケットを握り締めて、同行してくれた友達にお目当ての役者さんの特徴を教えながら。

 先着販売のチケットを張り切って取ったらなんと最前列で、戦々恐々としつつ席に着いた。だんだんとボリュームが大きくなる音楽に反比例して、照明は落ちていく。暗闇に飲み込まれた客席で、私は目を閉じた。開いても黒、閉じても黒、だけどその色は少しだけ違う。本の表紙を開くような、物語に足を踏み入れるような感覚だった。

 

 

 暗転が明けると、彼はもうそこにいた。息を呑む。

 捲し立てるように喋って、舞台上を隅から隅まで走って、思い切り倒れて、叫んで、笑って、怒って。感情の高ぶりが激しい役を演じていたから、なのかもしれない。圧倒的な熱があった。こちらまで肌がぴりつくくらいの、膨大なエネルギーだった。

 いつの間にか固めていた膝の上の拳を、ぎゅっと握る。すごい。わけがわからなかった。舞台という、そのままの意味で「生きた」芸術にも圧倒されたが、それとは別に、彼の持つ炎に巻き込まれていた。

 このひとは、今この瞬間に、命を燃やしてるんだ、と思った。彼が演じていた役は、酔っ払って記憶を無くし、知らぬ間にいろんなトラブルに巻き込まれる、わりとその場しのぎで生きる男だった。だから、「彼の前後」は存在しないのだろう。彼には、その役には、「今」しかない。本当に、このまま舞台の上で死んじゃうんじゃないかと心配になったくらいだ。

 このひとみたいに、必死に生きてみたい。なぜだか痛烈にそう感じた。そうしたら、好きになっていた。落ちるように、貫かれるように、大げさではなく、目の前の色が変わった。

 私の世界に、神様が生まれた。

 

 

 役を脱いだ彼は、向上心が高く、チャレンジ精神にあふれ、作品のために厳しく尽力できて、他人を褒め感謝し言葉にもする、やさしくて明るいひとだった。

 彼を観たくて劇場に通い、グッズを買って、お手紙を書いて、プレゼントをして、お花を出す、そういう自分を、最近ちょっとずつ好きになってきた。その時間は、私にとっても大切で、「正しい」ことだから、鏡を見ていられる。本当に、とてもすてきなひとを応援していると心から思う。

 

 私は、あの本の彼のように壮絶な人生を歩んできたわけではないけれど、でもわかるよ、と今なら言える。

 大好きで、泣かせたくないとはちょっと違うけど大切で、ファンとして胸を張っていたくて。人生を投げず、手を抜かずに済む存在。私にとっては指針で、救いだ。心を揺らされることも、頑張ることも、執着することも、感情を寄せることも、本当は怖くない。

 神様を得て、変わってきた人生の途中、私はいま毎日が楽しい。きちんと生きている。きちんと生きていく、これからも。

 

 

 

 2014年6月18日。東京芸術劇場シアターウエストで、WBB vol.6『そして、今夜もニコラシカ!』を観て、佐野大樹さんに出会った話。