卒業した話
日記のような。
推しを、じゃないです。そりゃそう。
大学を、バイト先を、サークルを、先日卒業してきました。ぜんぶ。
大学生は4年間で終えること。そんなの入学したときから、もっと言えばその前の高校中学小学校のときから決めていたはずで、22歳のこのタイミングで社会人になるためにいろいろと事を運んできたはずで。それなのになぜか、不思議な気分だ。
今年は1日が日曜日だから、4月2日を境目に、私はがらりと変わる。カテゴリが変わる。見られ方が変わる。私はなんにも変わらないのに。それを気持ち悪いとも悲しいとも思わないし、むしろわくわくしている部分もあるのだけど。
だけどやっぱり、不安なんだろうな、と思う。変われるのかな、変えられるのかな、変わるってなんだろう。
大学4年生の3月から6月末まで、就活生だったときも、私は推しのファンだった。
1年生の初夏にはじめて推しを観て、2年の春から気が狂ったように通いだして、なんだかんだ、私はずうっとこうしている。毎回毎回これが最後かもしれないって思いながら千秋楽を観て、ああまたここに来れてよかったと安堵しながら、初日、客席に座る。
持てる力の限りで推しを観てきて、もうすぐ3年。まだ3年。ほんのわずかな時間だな、と思う。だけど、大学生活の大半を捧げたんだなあと思うと、なんだか長い道のりだったような気もする。あの春、私はきっと今も推しの未来を見ていることなんて想像していなかった。
就活のピークは6月前半だった。推しの出演舞台『心霊探偵八雲 裁きの塔』の公演期間とがっつり被っていた。とは言っても、面接は基本的に平日の日中だったから特に支障もなく私は品川に通った。さすがに平日は東京にいようと大阪公演は土日のみに絞っていたのに、木曜にファン感謝イベントが決まって、もーいいや!推しの現場と重要な面接が被る企業とはご縁なんてあるわけない!って3泊4日決めたけど。大阪で御社と電話した。楽しかった。
ひとつも諦めなかった、と思う。推しのことで自分の何かを疎かにすることも、その逆も嫌だった。背伸びして届くものならぜんぶ掴みたかった。推しと同じように。推しのこういうところに憧れてるんだな、と、就活中に何度も思い知った。
今どき、絶対終身雇用ではないのかもしれない。就活はただの通過点で、それはわかってる。だけど、人生の節目だった、私にとっては。その岐路に立ったとき、推しのファンでいられてよかったなあと心から思う。推しは指針で、灯火で、道しるべで、とにかく、ずっと前を走ってくれる人がいるということは支えだった。
ぜんぶ終わって、これからまたぜんぶが始まる。
いやでも何かが変わる、変わってしまう、変えなくちゃいけない、変われるのかな。だけどきっと私は明後日からも推しのファンなのだろうと思うと、少しだけ救われる。
推しのファンであることは、社会から与えられた身分でも、振り分けられたカテゴリの属性でも、勝手に貼られたラベルでもなく、私が私で選んだものだ。推しのお芝居が好きで演出が好きで、ダンスがピアノが歌がパフォーマンスが好きで、お顔や身体やその表現の仕方を美しいと思い、お人柄や考え方やお仕事への姿勢に憧れる、私が。
いつか好きじゃなくなるかも、なんてどうでもいい。今の私が望まないそんな未来の話をしてもしょうがない。
ただ、ほんの2日後、明後日も推しを好きなのだろうという予感があれば私はそれだけでほっとする。嬉しいと思う。変わらない、どころか、どんどん好きになっていく事実に、心の底から感謝している。
推しの背中にわずかでも追いつけるように、頑張りたい。
本日SniTs準備。
— 佐野大樹 (@Daiki_sano) 2018年3月29日
ドンドン進めております。
あーだこーだと
言い合いながら進めております。
30代最後の二人の姿を
是非観に来て下さい。
ほらSniTsへ行こう。
※拡散希望 pic.twitter.com/yFDUtT5cNx
次に推しを観るときは、社会人だ。ついでにもうひとつ年も重ねている。初日、4月20日。どんな気持ちでどんな状態でどんな状況で推しを観るんだろう。でもきっと、好きなんだろうな。それだけでいいです。
この春も、推しのファンとして迎えられることを幸せに思います。
どうか、推しにとっても30代最後の春が、とびっきり幸せな季節となりますように!